2013年6月7日金曜日

海外では

「海外では」ということばがきらいだ。大きらいだ。

他にも、同系統のものとして「外国では」があります。わたしは、このことばを吐くひとの胸ぐらをつかんで、その鼻面にこんな叫びを浴びせてやりたい。「海外って、どこの国やねん!」と。

たとえば、ホンマでっか!?TVにときたま出演しているある女性評論家が、しばしばこのような言い方をしております。「海外のセレブのあいだで、○○が流行しているんです」と。しかし、それははたして、海外すべてを指してのことなのでしょうか。ご紹介のそれは、コロンビアやラオスやタンザニアでも、ほんとうに流行っているのですか。

きっと、アメリカとか、ほんの一部の先進国のことを言っているだけなのです。なのに、それを「海外」とか「外国」と、日本以外すべてを含むことばで表現していることが非常に腹立たしいのです。

別に、その評論家に限りません。世の中では、「日本人は○○だが、外国にいくと○○」というふうに、なぜだか、世界を日本と日本以外というたった二種類に分けて語るひとが多い。「外国人は日本人とちがって自己主張をしっかりする」というが、それはほんとうなのですか。ほんとうにリトアニア人もナイジェリア人もカザフスタン人も、しっかり自己主張をできるのですか。

さらにはなはだしきは「世界」です。「世界へ飛び出せ」と、よくひとは言います。しかし、日本も世界の一部なのではないのですか。それとも、日本は世界のなかに属していないのでしょうか。ここは世界の外、異界なのでしょうか。しかも、世界へ、といったって、それはどこのことを指してのことなのでしょう。カナダですか、キューバですか、ガーナですか、佐渡島ですか。

思うに、日本人は日本という国を世界のなかで特殊なものと考え過ぎなのです。外国といったって、千差万別。日本と似た国もあれば、まったくちがう国もあるはずです。二百ほどもある外国をすべていっしょくたに考えるなど、それこそ、もっとも国際感覚の欠落した思考法ではないでしょうか。

日本人ははやく、そうした未熟な発想から脱皮し、海外の人々と対等に話せるようになって、広い世界へと出てゆくべきでしょう。

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