2013年8月22日木曜日

kindleに振り回されて

もはやこれは、形而上学です。

事のはじまりは数時間前、Amazonで購入したあるブツが届いたときです。

そのブツとは、kindle paperwhite。

そう、いま話題の電子書籍です。数ある端末のなかでも、アメリカですでに普及し、いよいよ日本上陸となった最先端のデバイス。わたしの胸は踊りました。ああ、これで紙の本が溜まってゆく現状を変えられる。カフェなんかでkindleを取り出して指でスッスと画面をこすれば、わたしもかっこいいIT民だ、と思いました。

さっそくダンボールをあけ、スターウォーズのハンソロばりにビニールで密閉された黒い箱を取り出し、中身を取り出しました。姿をあらわしたkindleは黒くて実にシンプルな、シックなデザイン。さながらapple製品のようです。日本のもっさい企業では、こうはつくれますまい。おい、CASIOにSEIKO! なんでappleとかAmazonにタブレット市場を取られとんねん! 電子辞書とかで培った技術はどうしたっ!?

おっと、すみません。つい罵詈雑言が出てしまいました。閑話休題。

で、kindleをUSBケーブルで接続し、スイッチオン!

そうしますと、まるで紙の上のインクのような文字が表示されました。おお、さすが、paperwhiteというだけのことはあると感心します。

さて、ここからが問題です。問題でした。愛用のiMacにkindleを接続させようとするのですが、これがまったくうまくいかない。というか、わからない。わたしはかつてないほどの疑問の渦に投げ込まれました。

kindleいわく、「Wi-Fi接続するけぇ、無線のアレを検索すんでぇ」。で、少し待ってみたのですが、どうも、iMacに接続されてる気配がありません。

kindleいわく、「検索したら、5つくらいあんで」。で、実際、その画面には意味不明な数字や文字の羅列が、5つばかり並んでいるのです。しかし、それらのうちの一つが、果たしてわたしのこのiMacのものかどうかは謎です。というかおそらく、どこか他の部屋から漂ってきた「迷いWi-Fi」でありましょう。

ここからわたしの苦闘がはじまりました。なんとかして、kindleとiMacを接続させなければならない。出会わせなければならない。こんなに距離は近いのに、物理的にはほんの30センチほどなのに、まだ出会わぬ二人を、Wi-Fiという糸で繋がなければならない。

ということで、iMacの方をいじり、何とかしようと試みます。けど、Wi-Fiがない。っていうか、そもそもWi-Fiが何であるかを、わたしは知らない。ウィーフィーではなく、ワイファイと読む。それだけは知ってる。あと、無線で電子機器を繋げるなにか、だというのも知ってる。無線というのは、ケーブルを用いないことだというのも知ってる。漢字を見ればわかる。糸電話は、有線接続。携帯電話は、無線接続。ここは確実だ。けれども、Wi-Fiが何か、よくわからん。

しかし、わたしも馬鹿ではありません。偏差値60オーバーの頭脳をフル回転させて考えます。おそらく、Wi-Fiというのは、無線接続の一つの方法なのです。そう、方法。あるいは規格。他にも、EthernetとかAirMacとかBluetoothとかがある。「青い歯って何やねん」とは思うけれども、それはたしかに思うけれども、わかる。携帯電話とか、それで接続できるんだ。あと、FireWireというのもある。あった気がする。それは何に使うのか知らん。でも、いろいろあるんだ。っていうか、なんでそんなにいろんな無線通信の方法が用意されてるのかわからん。一つに絞れよ、とは思う。けど、今は、この疑問は飲み込もう。とにかく、あるものはあるのだ。その現実は受け入れよう。

というわけで、Wi-Fiは接続方法ないし規格である、という事実(?)をついに探り当てたわたしでしたが、iMacの「ネットワーク」という部分を開いてみても、Wi-Fiの文字が見当たらない。上記の、EthernetとかBluetoothとかAirMacとかは見つかるけど、Wi-Fiなんて言葉はどこにもねぇ。

さて、困りました。

しょうがなく、右上にある検索ボックスで「Wi-Fi」と入れてみますが、それらしいものは出てきません。ここで一つ、疑念が生じます。ひょっとして、このiMacにはWi-Fiの機能が搭載されていないのではないか、と。けど、すぐにそれは否定しました。このiMacはまだ買ってから3年ほどしか経っていない。OSだって10.6で、そう古くはない。きっと、この薄めのボディの中にも、Wi-Fiは入っているはずだ。どんな形かわからないが、確実に入っているはずだ。そう、信じました。

で、こんどはいよいよGoogle先生に泣きつきました。さまざまな文字列を打ち込んで検索してみます。まあ、kindleとiMacの接続を、そのまんま、フルで解説してくれてるページがあればいいなと期待しつつ、「kindle iMac Wi-Fi」などと入れます。英語のページがズラッと出て来て、チッと舌打をし、今度は「接続」と、日本語を混ぜて検索し直します。ですが、なかなかこれぞというページが出て来ない。だめです。

この時点で、もうかなりイライラしています。

でも、それでも、スタイリッシュな電子書籍ライフを夢見て、ネットの海をもがき続け、しばらくして手に入れた情報は、「Wi-FiはAirMac」というものでした。

いえ、たぶんこれは正確なことではございますまい。Wi-Fi=AirMacなどと、そんなことはないでしょう。きっと、互換性があるとか、そういった意味のことだと思います。でも、そもそも意味のわからない二つのものが、互換性のようなものがある、とわかっても、もうすでに、わたしの頭のキャパは越えております。なんだこれ、形而上学か。『純粋理性批判』の方がまだわかりやすいぞ。kindle metaphysicsかこれ。

けど、おそらく、AirMacの機能があればiMacとkindleを繋げられると信じて、わたしは作業を続けました。kindleを片手に、ネットワークを模索します。「ネットワークを模索する」という言葉も意味不明ですが、しょうがないんです。意味不明なんですから。とにかく、がんばったのです。

で、結局、kindleにiMacのAirMacを検知させることはできず、しかも、AirMacのパスワードもわからないので、ついに、わたしは断念しました。思わず、kindleを乱暴に机に置き、畳に寝転んでしまいました。完敗です。

そもそも、AirMacのパスワードがわからないんじゃどうしょもないし、AirMacのパスワードというのが何なのかも理解できないし、正直、AirMacが何かもよくわかっていないし、もう、無理です。無理なんです。完敗なのです。

数分ほど、わたしは畳の上に仰向けになり、天井の照明を見つめながら呆然としました。本来、kindleというのは便利なもののはず。テクノロジーが、読書に革命をもたらしてくれたはず。快適で楽しい読書生活を与えてくれるものだったはず。なのに、わたしは一文字も電子書籍を読まないまま、すでに、打ち砕かれ、打ちひしがれ、疲労困憊しているのです。紙の本なら、Amazonから届いてすぐにパッと開いて、何の設定もせず、読むことができたはず。それが何さ……。わたしはどんどんいじけてゆきました。

やっぱり紙の方がいいんだ。本といえば紙だ。紙の本はすぐ読める。落としても壊れない。充電も必要ない。かさばるのはいやだけど、逆に言えば物質として残るということで、やっぱ紙がいいよ。羊皮紙に比べれば、ぜんぜんコンパクトでかるい。石板の時代よりは、ずっと便利になった。巻物より読みやすい。紙で満足しようじゃないか。kindleなんか要らないんだ。こんなもんはスクラップだ。

と、いじいじと考えていました。

けど、しばらくして、ふと部屋の周囲をみまわすと、そこにはたくさんの本、本、本。カラーボックスには前後二列にわたってぎっちりと、本。奥には岩波文庫がぎっちり。おそらく一生読まないホメロスの『イリアス』が、手前の円城塔『道化師の蝶』の横からのぞいておる。あっちでは、勢いで買ったけど読んでない『現代言語学入門4 意味と文脈』が、ピンチョン『ヴァインランド』の奥に見える。それから、たくさんの文庫たち。『アルケミスト』『僕のエア』『この人を見よ』『神曲』『小遊星物語』『日本語必笑講座』『ロリータ』『ねじまき鳥クロニクル』『プレーンソング』『オロロ畑でつかまえて』『僕の妻はエイリアン』『やし酒飲み』などなど。

ああ、このままだと、部屋が本に飲まれる……。

わたしはそう思い、ふたたび奮起しました。ここでkindleに愛想をつかしてしまったら、わたしはこれまでと同じように本を買い、部屋をこいつらに占拠されてしまう。そんな危機感を抱いて、気持ちもあらたにkindleとiMacに向き合いました。

さて、そうなりますと、まずは基本に立ち返るべし。ということで、Amazonの公式kindleサイトに飛びました。で、流し読みしかしてなかった説明文を読む、読む、読む……。そうして目に飛び込んで来たのは「PCがなくてもご利用になれます」の一文。お、おい、嘘だろっ!

さっきまでの四苦八苦は何だったのかと、脱力感に襲われました。が、同時に、PCがなくても書籍がダウンロードできる……そんなことが可能なのか、という疑問も湧いてきます。いったい、これはいかなることか……。

それからまた調べたのですが、どうやら世の中には無線LANスポットなる場所がある模様。いえいえ、パワースポットではありません。Wi-Fi接続が無料でできるという、そういう場所です。知らぬ間に、セブンイレブンですとかスターバックのような店舗が、神的な力により、Wi-Fi接続できるようになっておるということです。

というわけで、kindleを持って近所のセブンへ。

この時点でまたうんざりしてきてます。だって、わたしとしては、部屋にいながらにして本を買いまくれる、と思ったからkindleを買ったのです。それが、外へ出なきゃいけないんじゃ、kindleの魅力半減です。そりゃ、セブンは歩いて5分ですから、大型書店へ行くよりは近い。けども、ねぇ……。

で、セブンに入り、お菓子の棚の前に陣取って、およそ20分、また四苦八苦をして、んで、ようやく最初の一冊、小川洋子『博士の愛した数式』をダウンロードできました。いやもう、本のチョイスなど適当です。とりあえず、オススメっぽいとこから、見たことあるタイトルのものを選んだだけです。ああ、長かった。あと、kindle、文字入力しづらい……。

ということで、いろいろありましたが、何とかkindleで本を読める状態になりました。いや、IT関係がまだこんなに難しいとは、正直意外でした。この、デジタル機器がどんどんアナログに近づいているご時世、もうちょっと楽に使い始められると思っていました。Amazonもappleもまだまだですね。いえ、わたしが機械音痴なだけなんですけど。

さて、セブンから戻って、そういえば郵便受けのチェックをしておらんな、と気づき、なかを調べたらAmazonマーケットプレイスで買った本が届いておりました。部屋にもどり、封筒をやぶると、出て来たのは斎藤環『世界が土曜の夜の夢なら』。装丁はとってもきれいで、もうわくわくしてきてしまいます。なにより、封筒をやぶってすぐ読み始められるのがいい。何という便利さ! すっかり、わたしはそのヤンキー論を読みふけるのでした。

やっぱり、paperwhiteよりpaperです。

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