2014年9月15日月曜日

ローレンス・クラウス『宇宙が始まる前には何があったのか?』

ここ半月、小説以外の本をむさぼるように読んでいるのですが、その中の一冊をご紹介します。この数十年の宇宙論・素粒子論について紹介した、ローレンス・クラウス著『宇宙が始まる前には何があったのか?』です。

タイトルの疑問に対する答えを先に言ってしまえば、それは「無」です。つまり、宇宙が始まる前には何もなかった。けど、これは普通の考え方、常識に反するものです。身の回りで起きるあらゆる出来事、あるいは天体の運動だってそうですが、何にだって原因はあると考えるのが普通です。しかしクラウスは、最新の科学に照らして考えると、無から何かが生じることはありうるし、むしろ生じなきゃいけないのだと語るのです。

ただし、このお話がメインとして語られるのは本の後半。そこに至る前には、人類が素朴な宇宙観を持っていた頃のことも書かれています。相対性理論の登場、ハッブル望遠鏡が捉えた驚くべき銀河の動き、不思議な量子論などなど、魅力的なエピソードが盛りだくさんなのですが、私がいちばん心を動かされたのは、第七章「二兆年後には銀河系以外は見えなくなる」でした。

二兆年後には銀河系以外は見えなくなる。それはどういうことなのか?

現在、天の川銀河に属する地球からは、何千億という数の銀河を見ることができます。お隣のアンドロメダから、百億光年以上離れた銀河まで、たくさんの銀河、天体が観測できます。けど、ハッブル望遠鏡によって初めて観測されたように、それらの天体はすべて、私たちのいる銀河から遠ざかっているのです。

たとえて言いますと、たくさんの点が打たれた風船が膨らむと、点同士の距離というのはすべて離れていきます。それと同様、宇宙自体、空間自体が膨張しているから、銀河同士もどんどん離れていってるのです。しかも、どうやらそのスピードは増しているというのです。さらに驚くべきことに、そのスピードはいずれ光の速さを越えてしまうらしいのです。それが、二兆年後。

となると、どういうことが起きるか。二兆年後、この銀河の外のあらゆる天体は、原子一個残さず、すべて観測不能な場所にまで飛び去っています。光速以上のスピードで去っていったわけですから、その未来においては、もう今日のように多様な天体を観測することができません。空には天の川銀河しかないという寂しい状況です。

もしその時代に知的生命体がいて、宇宙について研究している人がいたとしても、そんな宇宙では、今日のような知識を得ることができないのです。たとえば、ビッグバンがあったとか、宇宙の寿命がこれくらいだろうとか、そういった多くの知識は、遠くの天体を観測できたおかげで得られたものです。けど、はるか未来の人たちは、そういう手がかりを一切失ってしまうのです。

彼らはどれだけ力をつくし、テクノロジーを駆使しても、おそらく、私たちが知り得た宇宙像に到達することはできません。彼らにとっての宇宙は、むしろ、何百年も前の素朴だった頃の宇宙像に近くなっているのです。つまり、茫漠とした闇の中に、この宇宙だけが無限の昔から無限の未来まで浮いているというものに。

これは、想像してみると恐ろしいことです。何が恐ろしいって、おそらく、その「現代ではまちがっている宇宙像」が、彼らにとっては「真実」だからです。もし、実験と観測に基づくという科学の精神を保持するなら、彼らにとっての真実は、上記のような寂しい宇宙像にしかなりえません。それは、私たちが嘆いたところで、どうしようもないことです。こうなってくると、真実とは何かという基本的な部分がぐらついてきますね。

と、こういうお話がいちばん私にとっておもしろかったのですが、本書は全体にわたってユーモアと諧謔に溢れており、読物としてすばらしいです。値段も1600円と、この手の本にしてはなぜか格安なので、非常におすすめです。

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