2014年11月12日水曜日

知的な忍耐力

今回はたぶん、まとまらない内容になると思うのですが、最近考えはじめたことを書いてみます。テーマは、知的な忍耐力。あるいは、息の長いものに付き合う力です。

何のことかと言うと、インプットとアウトプットのあいだに長い空白があるものにどれだけ耐えられるかというその忍耐力の重要性についてです。ツイッター全盛の時代になって、インプットとアウトプットはほぼ同時というのが主流になりました。出来事がある。感じる。スマホに入力する。公開される。反応が来る。このプロセスが秒単位にまで短縮された今、それとはちがう、息の長いコミュニケーション、あるいはクリエイションが逆に重要になってくるような気がしています。

ここ数年、ブログからmixi、そしてツイッターへとSNSが変遷してきた背景には、おそらく、上記のようなサイクルの短縮化があったのではないかと思います。ブログですとなかなか反応は期待できないが、mixiならマイミクからすぐコメントがつく。そしてツイッターなら数分以内にRTなどの反応が来る。このインスタントな有り様が人々の心に訴えたのではないでしょうか。

ですが、ワナビ活動というのはこの対極にあります。300枚前後のものを数ヶ月、長ければ一年もかけて書き、新人賞に応募して、結果が出るのは半年後とかです。着手から結果発表まで一年くらいかかることもざら。しかも、応募者の大半は一次で落選して名前さえ出ないわけですから、いわば無反応。こうしたことに耐えるのはなかなか厳しいものです。

たぶん、このつらさを緩和してくれるのが評価シートというものなのでしょう。一応、反応が得られますから。しかし、こうしたものを求めすぎるのもどうかと、この頃思っています。

もともと小説を書くというのは非常に根気のいることで、反応が返って来るまでだいぶ長い時間待たねばならないものです。けれど、反応がない中で、自分の中で考えや感情や情景を長期間保持することによって、そうすることでしか生じない何かというのがある気がします。小出しにして少しずつ反応を得ることで消えてしまうエネルギーというのがあると思うのです。

ワナビに限らず、プロの小説家でも事情は同じで、インプットからアウトプットまでの時間も、書いたものが読者に届くまでの時間も、かなりかかる。そういう職業に就くのなら、知的な忍耐力というのは必ず身につける必要があるだろうと思います。新聞記者やライター、漫画家やデザイナーと比べても、小説家ほど創作と反応のあいだが空く仕事というのはなかなか見当たりません。

というわけで、インプットしたものを孤独の中で醸成し、長い時間をかけてからアウトプットする、そして気長に反応を待つ、という力が欲しい、そう思います。

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