2015年2月26日木曜日

「伝わらない」ことの面白さ

もうここ三ヶ月ほど、実生活の方で劇的な変化が生じており、ワナビ活動の方は開店休業状態になっているのですが、それでもときどき創作に関してはつらつらと考えておりまして、この頃の自分のテーマは「伝わらない」ことの面白さです。

コミュニケーションというものについて、ここ数年かまびすしく議論されています。よく語られる文脈は、就職活動におけるコミュニケーション能力、通称コミュ力の大切さ、です。どこかの機関が調査したら、会社が人材採用のときにもっとも重視するのはコミュ力であった。そんな記事をネットで見かけたりします。

そんな具合に、コミュニケーションに関して語られるとき、いつも主張されるのはコミュ力の大切さであり、伝えることの重要さです。コミュニケーションは十全に機能することがよいことで、そのための技術をあげようというのが巷間語られるものであります。たしかに、実生活ではそうでしょう。

けれども、こと創作やエンターテイメントについて考える場合、事情がちがってきます。この頃よく思うのです。

コミュニケーションは、伝わらない方が面白い。

思考や感情、論理や価値観、そういったものが十全に伝わらない状況の方が、私は好ましいと思います。社会生活上はこまったことになるでしょうが、面白いか面白くないか、ドラマチックかそうでないか、そういう観点で見れば、伝わらない方がいい。

たとえば小説における人物同士の会話でも、お互いをわかりあっていて、何を言っても通じ合う場合というのはまったく面白くない。そこにはドラマが産まれません。ドラマチックになるのは、そのやり取りに誤解があったり、感情的対立が産まれたり、温度差があったりする場合です。

現在、私は小谷野敦の『悲望』という小説を再読しているのですが、この作品でもやっぱり伝わらないからこそ面白さが産まれている。主人公の大学院生の青年は、院の後輩の女の子に想いをよせ、やがてストーカー化していくのですが、熱烈な想いが相手に届かず、手紙を出しても気持ち悪がられ、やがては会話すらまともにできなくなっていくからこそ面白いのです。もし想いが相手に伝わって、そのままお付き合いすることになったり、あるいはそこまで行かずとも、面と向かってきちんと対話できる関係が整ってしまったら、この物語は微塵も面白くないでしょう。

物語には葛藤が不可欠というのはストーリーテリングについてよく言われることです。そして、コミュニケーションの不全というのは、葛藤を生み出す非常に便利な手段です。したがって、物語には、「伝わらない」ことの面白さが不可欠だと思います。

今後もしばらく、伝わらないことがいかに面白いか、物語にとって重要か、そんなことを考えていきたいと思います。

2015年2月24日火曜日

続・清水優菜にご用心!

おととい、突如送られて来た間違いメール。東京で女優をめざしているというその子は、送った相手が見ず知らずの人間であるとわかったあとも、なぜかメル友になろうという誘いをかけてきた。が、書かれていた「清水優菜」という名前でググッたところ、それはいわゆる出会い系のサクラであったことが判明したのだった。

以上、前回までのあらすじ。

さて、そのあと私は考えた。正体がわかったので、これでもう本気で相手をすることはしないし、まして金を取られるようなことにはなりようがない。が、すでに返信は何度もしてしまっている。つまり、自分のメアドが使用中のアクティブなものだということは伝わってしまったのだ。ということは、今後も優菜ちゃんからしつこくメールが来る可能性もあるし、何より、メアドを業者間で回されてしまう危惧がある。

そうなったら厄介である。他のサイトからも迷惑メールが大量に届くかもしれない。どうしたものかと悩んでいると、昨日の夜に新たなメールが届いた。

件名:迷惑でしたか……
急にメル友になりませんかなんておかしいですよね(汗)
でもアドレス間違いでメール送れることなんてあるんですね。ちょっと驚いてます(汗) 
ちなみにごっちんとは知り合いですか? アセアセ
「汗が多いな!」というツッコミはさておき、返事してないのにまた送られて来た。これは、ひょっとしたらまだまだ追撃を続けるつもりかもしれない。厄介である。

内容については、最初の数通より若干雑になっている感はある。二段落目で、まだなお「運命」感を醸し出そうという健気さは好印象だけれど、なにせ最後の文がひどい。ごっちんというのはもともと優菜ちゃんが本来メールを送ろうとした友達(という設定)なのだけど、そんな人を私が知るはずないのだ。

もしかしたら、このままだとクオリティの低いこの手のメールが連日送られてくる可能性もあり、それも嫌なので、ダメもとでこんな返事を送ってみた。

まっすんさんという人のことは当然存じ上げませんよ(笑)
ところで、この頃仕事が忙しく、返信が遅れて申し訳ありません。
女優を目指されているということで、夢があって素敵ですね。ぼくは裁判所事務官という地味な職業についてしまったので、そんなきらびやかな世界とはまったく無縁の男です……。
メル友の件ですが、彼女がいぶかしがっても面倒なので、ご遠慮させていただきます。が、遠くより、清水さんのご活躍をお祈りしております。では。
ポイントは、司法機関で働いているということと、すでに彼女がいるということ。どっちも嘘だけど。でも、これで優菜ちゃんがどう対応するのかは見物である。こっちが裁判所職員だと申告しても有料サイトに誘導してくるのかどうか、彼女のいる男でもカモにしようとするのかどうか、経過を見ようと思う。

現在、このメールの送信から27時間ほど経過してて、まだ新たな返信はない。このままストップしてくれたらありがたいものだ。


(追記)
さらに丸一日経過したけれど、まだ返信は来ません。どうやら諦めてくれたようです。案外あっさり引き下がってくれました。

2015年2月22日日曜日

清水優菜にご用心!

今朝起きたら、おおよそこんな文面のメールが携帯に届いていた。

件名:おはよう。
もう風邪は大丈夫?(>_<)
この頃は冷え込みがすごいし、お互い体調には気をつけなきゃね(汗)
あと携帯変えたから登録ヨロシク♪
また時間がある時にご飯でも行こう(^ ^)v
はて、と思った。アドレスが変わったから登録よろしく、というメールはときどき友人から送られてくるが、このメールには肝心のもの、送信者の名前がない。いったいだれが送って来たのだろう。しばし、私は考えた。

私が数日来風邪気味だったということを知っていて、かつ、携帯のアドレスを知っている人物と言えばfacebookつながりの人しか考えられない。だから、そこでつながりのある人物のだれかだろう。しかも、「また」「ご飯」に行こうということは、いっしょにご飯を食べたことがある人物。すると、それは3人ほどに絞られる。

ということで、私はこう返信した。

ありがとー! ところであなたは良くんかな? それともみっちゃんかな? はたまた香織ちゃんかな?
ここでは偽名にしておくけど、実際のメールではもちろん本当の名前で書いて送った。この中のだれかではあるだろう、と思ったのだ。そしたら次にこんなメールが返ってきた。

件名:清水です♪
名前入れるの忘れてたよ(笑)
ごっちんだよね!
元気だったかい?
ここで、私の頭はハテナでいっぱいになった。まず、件名にある清水という部分。私も清水なのだけど、あちらも清水さんだという。ここでさっきの3人の候補はみな脳内から消えて、私は新たに清水で脳内検索をかけた。で、ヒットしたのは3人。だが、そのうち2人は私にこんなメールを送ってくるとは考えづらく、あとのひとりともだいぶ疎遠なのでおかしい。

なにより、問題なのは「ごっちん」という部分である。私はごっちんではない。本名をどういじったところで、ごっちんにはならない。そう呼ばれたこともない。この時点で間違いメールであることはほぼ確定。ということで、こんな返事を出した。

ご、ごっちん? ぼくも清水ですよー
相手はどうやら勘違いしてメールを送って来たようなので、それに気づかせてあげようと思った。私はごっちんではない、はやく本当のごっちんさんにメールを送ってあげなさい、という気持ちを込めてメールを送った。そして、次に来たのはこんなメールだ。

件名:ごめんなさい。
携帯のデータが消えてしまったので、友人に聞いてメールしたのですが、間違えてしまったみたいです。
わざわざ返事をしてもらってすみません。
しかも男性と間違えるだなんて……。女性の方ですよね?
やはり間違いメールだったようで、これで一安心である。まあ、たまにはこんなこともあるだろう。ただ一点、最後の「女性の方ですよね?」にはひっかかった。さっきのメールで、私は「ぼく」という一人称を使っていたのだ。なのに、こちらを女性だと思っている……? あきらかに不自然だ。けどこのときは、ちょっと頭の弱い人なのかな、ぐらいに思って、こんな返信を出した。

男ですよ。ぼくもちょうど風邪をひいてたので、間違いだとは気づかなかったです(笑)では。
 無難な文言だったと思う。別に間違いメールだったからといって怒りはしないし、これで一件落着、と思っていた。が、事態はここから急展開を迎えることになる。しばらく間があいたあとに来たのがこのメールだ。

件名:ご迷惑をおかけしました。
でも間違えた先の人がいい人で助かりましたヾ(*・ω・*)o
私は東京で女優をめざしている優菜といいます♪
こんな機会もそうそうないので、よかったらまたメール送ってもいいですか??
(`ω´*)
これを見た私はもう有頂天である。まさか、間違いメールを送って来た人からメル友になろうというお誘いがあるとは。しかも、相手は女優の卵。ということは、若くて美しい女性にちがいない。私はもう即座にオーケーの返事を出そうかと思ったほどだ。

が、一連のやり取りの中で、すでに相手のフルネームは割れている。清水優菜である。 しかも、女優志望。これだけの情報があれば、検索でひっかかる可能性は高い。ただの学生や会社員なら出て来ない可能性が高いが、女優という仕事をめざしているのなら、写真の一枚くらいヒットしてもおかしくない。ある程度の素性もわかるかもしれない。

ということで、私は返事を出すのをがまんし、帰宅してからグーグルの検索で「清水優菜」と打ち込んだ。で、そこで出てきたのが「清水優菜 メール 東京」などといった文字。

おや、これは……。

なにやら不穏な気配を感じつつ、一件目に表示されたページを開いてみると、そこには出会い系の被害を訴える人々の多数の書き込みがあった。そう、これら一連のメールは、出会い系への誘導メールだったのだ。

画面をスクロールしつつ、私の膨らみ切った希望は急激にしぼんでいった。ときめきが、炎天下に置かれた氷のように、みるみる溶けていった。まさか、これが釣りだったとは。しかも、それにけっこう長いこと騙されるとは……。


正直、ググって真実を知るまで、私の頭の中ではかなりのところまで妄想が膨らんでいた。間違いメールがきっかけで頻繁にメール交換するようになるってのはもちろん、ときどきなら東京に行くとき食事をご一緒してもいいかなとか、あるいはそれきっかけで仲良くなって、ゆくゆくはお付き合いを、なんてところまでストーリーは進んでいた。二人の結婚披露宴では、司会者が二人のなれそめを語り、「はじまりは新婦が送った一通の間違いメールでした」なんてところで会場から笑いとちょっとしたどよめきが起こるところまで行っていた。なのに、すべては非情な検索結果のために霧消してしまったわけである。

要するに、けっこう典型的な誘導メールにしばし騙されてしまったのだ。

けれど、いま考えても、返信しないでおくという判断は難しかったと思う。実際、リアルの友達でも、名前を書かずにアドレス変更のメールを送って来るおっちょこちょいはいそうだし、何より今回は風邪の件が私の現状と一致していたため、そこでリアルの知り合いだと思い込んでしまった。もし風邪をひいてなければ、最初から疑いを持って、返信せずに済んだかもしれない。

おまけに、以前たまにご飯を食べててこの頃疎遠な人という心当たりもいたため、またそこでも心のガードが崩されてしまった。間違いだとわかったあとも、たまたま名字が同じだったため、どこか親近感を持ってしまったところもある。そもそも、アドレスが普通にezweb.ne.jpだったので、そこで業者と気づきにくかったということもあった。見事にやられたかたちである。

もっとも、金銭的な被害にあったわけではない。検索結果を見てみた結果、このままメール交換を継続すると、やがて出会い系の有料サイトに誘導され、そこでお金を取られるらしい。そこまでは行かず、実害は被っていないので、それはよかった。

前々から私はこういうたぐいのものには引っかからない自信があったのだけれど、今回は見事に返信してしまった。「風邪治った?」というフックは数十人に一人くらいは身に覚えがあってひっかかりそうになるだろうし、そのあとの返信も実際にこちらからのメールを読んで対応しているので、実に手間がかかっていて巧妙である。

みなさまも、見知らぬアドレスからのメールには十分ご注意を。

2015年2月2日月曜日

転落劇のおもしろさ

成功した人間が転落していく様を見るのは、おもしろいものです。

とりわけここ一年はそんな話題が多い。佐村河内のゴーストライター騒動にはじまり、小保方さんの騒動、それから、やや一般の知名度は下がるものの、与沢翼の転落、百田尚樹の『殉愛』騒動、そして先日書いた岡田斗司夫の炎上——みなおもしろいものばかり。

なぜ、成功した人、著名な人の転落劇はこんなにもおもしろいのか。みな夢中になるのか。その理由としては、嫉妬ということが考えられます。成功者を妬む人間が多くて、みんな自分よりはるか上の人間がだめになるのをメシウマ的に楽しんでるのだ、と。

けど、それは本質を突いていないような気がします。私自身、さすがに百田さんは羨ましいけど、その他の人は別に嫉妬する対象ではないし、羨ましいと思う人ばかりではない。たぶん、妬みがあるから転落するのがおもしろいというわけではない。

それに、成功者が転落するときだけではなく、落伍者が成り上がるさまもまたおもしろいものです。ホームレスだった人が事業で成功したとか、成績が学年最下位だったギャルが慶應に入っただとか聞けば、それもまたおもしろい。

おそらく、本質は急激な変化という部分になるような気がします。上が下へか、下が上へかは問わず、ある人間の状況がいっぺんするというストーリーが楽しいのでしょう。琴線に触れるのでしょう。

世の中全体として、そういう話をもっともっと欲している雰囲気を感じます。これから、どういうことが起こるでしょうか。