2016年2月24日水曜日

名前募集バーガー

もうしばらく前になるが、マクドナルドの名前募集バーガーの名前を考え、応募した。

だいぶニュースになったので知らない人はいないと思うが、マクドナルドが新しいハンバーガーの名前を募集していた。もし応募した名前が採用されたら、現金で140万円がもらえるという夢のある企画である。ちょっとしたネーミングでそれだけもらえるなら破格だろうということで、ガチで考えた。

そうして知恵を絞ること数十分、私が応募した最有力候補はこれ。

「ジャガマック」

ジャガはもちろん、このバーガー最大の特徴であるポテトフィリングに因んでのもの。商品の内容を表すネーミングであれば、じゃがいも要素を抜かすことはできない。ポテト、という単語を入れることも考えたが、マックで「ポテト」と言えばフライドポテトのほうを連想するし、実務上、そちらとの混同も危惧されることから、「ジャガ」にした。

「マック」というのはもちろん「ビッグマック」からの連想。マックのメニュー表を見ると、具材のあいだにパンが挟まっているのは名前募集バーガーとビッグマックのみであったので、「○○マック」とするのはきわめて自然である。よって、ジャガマック。呼びやすいしね。

他にはこんなのも考えた。

「ジャガ丸」

ジャガは上と同様だが、手丸めバンズという特徴的なバンズを使っていることを踏まえ、末尾を「丸」とした。じゃじゃ丸的な響きのよさもあるし、五郎丸や真田丸が流行っている時分でもあるし、キャッチーさがある。

今回、名前の応募には数の制限がなかったため、他にも思いつく限りいろいろなものを送ってみた。他のものはもう覚えてすらいないが、ぜひとも採用されて、140万円をこの手につかみたい。

ちなみに、この名前募集バーガー、まだ一度も食べたことはない。


……と、ここまでは以前書いた内容で、おととい、ネーミングが決定した。その名も「北のいいとこ牛(ぎゅ)っとバーガー」である。私の候補作は落選である。

今回の敗因は、このバーガーが期間限定であることを見逃していた点だ。このネーミング、明らかにレギュラーで売る気のない名前である。私は呼びやすさ、親しみやすさを重視しすぎていた。期間限定なら、こういうネーミングもありだろう。

まあしかし、「北」というと「北海道」より「北朝鮮」を連想するし、牛=ハンバーグの部分は北海道産じゃないし、そもそも注文しづらいし、あまりいい名称とは思えない。そのうち食べてみようと思っていたが、やや躊躇してしまう。

2016年2月23日火曜日

無意識のレベルへ潜ること

無意識の領域は大事だなってよく思う。

作家の岩崎夏海氏が、最近のブロマガにこういうことを書いていた。映画というのは、夢や空想でしか見たことのないものを、映像で見せてくれるから面白いのだ、と。私にこの着眼点はなかった。映画と夢をつなげて考えるということはなかった。

しかし言われてみればそうで、たとえば空を飛ぶ映像というのは、もろに夢である。夢では、人間はよく空を飛ぶ。今朝も、私は空を飛んでいた。うろ覚えだが、対戦相手がおり、そいつは計量カップみたいなかたちをしていて、それと私とで、どちらが上へ行けるか散々競い合い、最後は私が雲を突き抜けて勝利を収めた。そういう夢を映像で見せられると面白い。

無意識の代表例は夢だが、ほかにもある。たとえば、破滅的な空想である。何かしら、厳粛な場がぶち壊しになるとか、えらい人に暴言を吐くとか、そういう、ほぼ意識にのぼってこないような悪い意味での空想というのも、物語として描かれると面白いものだ。たとえば筒井康隆の『文学部唯野教授』で、主人公に対して目上の教員が子どもみたいに感情をむき出しにして怒り狂うシーンがある。そういうのは面白い。

クリエイターにとって無意識のレベルに潜ることは必須である。そこには魅力的な題材が山とある。ただしそれは一筋縄ではいかない。意識は、どうしたって無意識と乖離してくるものだ。意識が認めたがらいものは無意識へと抑圧され、認識することが困難になってしまう。乖離が甚だしくなれば、創作どころか実生活にまで悪影響が及ぶ。そこんところを、何とかしなくてはいけない。いろいろな方法を用いて、無意識から、人間にとって面白いものを汲み取らなくてはいけない。

夢をメモしたり、あるいは社会の事象の背後に潜む、普遍的・集団的無意識をひもとくような試みをやっていきたい。

2016年2月22日月曜日

ブラック企業礼賛

貴様の言い分は、つまりこういうことか。ブラック企業は若い人間を使い潰す、精神的にも肉体的にも疲弊させる、それは社会の害悪だと。だからなくすべきだと。そう言いたいのだな。

たしかにブラック企業での労働は過酷だ。毎日あさから夜まで休みなく働き、残業代は出ず、休日にまで出勤を強要され、上司は理不尽にふるまう。おまけに正社員であるにもかかわらず、将来の見通しは暗い。実際のところ、安定した生活とはほど遠い。しかし、ブラック企業は本当に悪しきものなのだろうか。社会からなくすべきなのだろうか。

考えてもみろ。ブラックと言われている企業のサービスのことを。どのどれを取っても、顧客にとって非常にいいサービスをしてはいないかね? ブラック企業の提供するモノ・サービスは安くて良質なものばかりだ。一定のクオリティを保ちつつ、驚きの安さを実現している。大手の居酒屋やコンビニチェーンが頭に浮かんできただろう。それらの企業は、われわれに安くていいものを提供してくれているのだ。喜びと笑顔を与えてくれているのだよ。

さらには、従業員にとってすら、実はブラック企業は望ましいものなのではないか。もちろん、表面上はきついだのしんどいだの嘆くものもいるだろう。なかには鬱病となってリタイアするものもいるだろう。しかしブラック企業はその従業員にやりがいと目標を与えてくれているのだよ。

ある者にとって人生は、ブラック企業なしにはただただ退屈なものだったかもしれない。もし、どこにも属さず、ひとりで生き方を決めねばならないとしたら、人生の膨大な時間をまえにして立ちすくむしかなかったかもしれない。しかしブラック企業は、そんな人間を構成員として包摂し、目標と生きる張り合いを与えてくれるのだ。がむしゃらに働けば立派な社会人だと認めてもらえる、そんな環境を与えてくれているのだ。搾取だと? ハハ、冗談ではない! むしろブラック企業は万人を受け入れ、日々することを与え、おまけに給料まで払っているのだ。これは破格の待遇ではないかね?

もしブラック企業がなくなったらどうなる? われわれは安くて良質なサービスのうち、多くを失うかもしれない。雇用される側から見れば、居場所と目標を失ってしまうかもしれない。それが社会にとってよいことなのだろうか。

さあ、これでも貴様はブラック企業をなくせと言うのか。どうだ? ……そう、それでよい。ブラック企業こそは、われわれの社会にとってなくてはならぬ存在なのだよ。ブラック企業の社員たちは特有の倫理にのっとって必死に働く。そこでやりがいを感じる。客は笑顔になり、笑顔がかれらの喜びになる。これほど幸せなことはあるまい。

ブラック企業が、永遠に栄えんことを!

2016年2月21日日曜日

美女について

美女についてよく考える。

と言っても、鼻の下を伸ばしているわけではない。いいなあ、ということではない。むしろ、美女の立場、美女の主観というものに興味がある。

男性側からすれば美女は憧れの対象である。付き合いたいと思うし、キスしたいと思うし、パンツを覗きたいと思うし、耳たぶを舐めたいと思う。これが通常の見方だ。つまり、普通、男性サイドからは、美女というのは対象物であり獲得すべき目標という見方になってしまう。

しかし美女も人間である。主観を持っている。ひとりの人間として、自分が美女であることは、どういう作用をもたらすのだろう。美女にとってみれば、美しいがために、男たちが集まってくることになる。欲望の対象として見られまくる。もちろん、モテるから嬉しいという面もあろうが、あまりに多く好意を持たれると、おそらくウザいだろう。

岡田斗司夫がこう言っていた。「美しいことは能力ではない。なぜならそれは、身体能力や知的能力のように、加減して発動させられないから」。たしかにそうだ。美しいということは、普通に生きていれば隠すことができず、その美しさに付随するものからは、逃げることができない。

美しさは尊ばれる。ちやほやされる。しかしそれは、努力して得たものではない。とすれば美女は、努力してないのにちやほやされることに、何かしらわだかまりを感じるのではなかろうか。美女をこじらせている人も相当数いそうだ。

美しさはいずれ衰える。美女と言えども、よほど群を抜いていなければ、後半生はさして美しくない状態で過ごすことになる。美女として扱われるのは、おおむね十代後半から四十くらいまでの二十年ちょっとだけだろう。そういうリミットがあることは若いうちから感じてるはずで、それが美女の振る舞いにどう影響しているのかも興味深い。

散漫な話になってしまったが、美女というのはおそらく、端から見るほど得なものではなさそうというのが今のところの予想である。

2016年2月16日火曜日

と言いますか

以前、「を入れ言葉」について書いた。不必要な「を」が蔓延していて不愉快だ、という趣旨のことである。これについてはツイッターでも書き、多くのかたにリツイートされた。みな気になっているのだろう。

これと同程度に気になるのが「と言いますか」である。バリエーションとしては「と言うか」「と申しますか」があるが、とにかく、このたぐいの表現が気に障る。

別に、本来の用法のように、「Aと言いますか、Bです」と、こう使ってくれれば文句はない。たとえば、何々は好きですかと聞かれ、「好きではないと言いますか、率直に言って嫌いです」のように使うのならいい。しかし、このごろ「と言いますか」は、このあとに何も伴わずに出てくるのである。レポーターがだれかに質問するとき、文末が「と言いますか」だったりする。そこで終わって、相手にマイクを向けたりする。

日本語では、とかく断定を避ける言い方が好まれる。「と言いますか」の濫用もこの流れの一環だろう。たしかに便利ではあるが、どうにも気持ちが悪い。

さらに言えば、こうした大人のよく使う変な言葉というのは、なかなか批判に晒されにくいという状況もある。いわゆる学生言葉というのは、大人たちによって即座に否定され、矯正されていく。「おれ的には」「っぽい」「って感じ」「みたいな」などは社会人となるにあたり、容易に刈り取られていく。だが、大人側が使いはじめ、一般化した変な言葉というのは、それを批判する層がないものだから、歯止めなく蔓延していくことになる。

曖昧な言葉よ、滅びろ。

2016年2月12日金曜日

宗教に興味がない

私は宗教に興味がない。

高校までは公立校で、宗教とは無縁だった。大学はキリスト教主義を標榜する学校だったから、それなりに宗教について教育を受け、聖書もいくらか読んだが、結局興味は持てないままだった。専攻は哲学で、指導教員に宗教哲学をやるよう強く勧められたが、これも最後まで受け入れることができず、最後は大学院を辞めた。

塾で講師をしていたとき、上司がある仏教系の宗教の信者で、たびたび立派な会館へ連れていかれ、某大御所女性タレントの講演ビデオを見させられたり、職場でたびたび某新聞の切り抜きを手渡されていた。挙げ句、立派な会館の一室へと誘われ、立派な仏壇の前で男たちにさまざまに入信を勧められたが、断った。

そのとき、私は「自分には宗教の適性がないから」と言った。これは本当にそう思ってのことだが、もっと率直に言えば興味が湧かないのだった。塾の仕事も結局辞めた。

さらには、葬式というのも不可解なことが多い。私の両親は、いちおう近所の寺の檀家にはなっているが、普段は宗教になど興味がないというふうである。私に対し、宗教には手を出すなと、おそらくオウムやなんかが念頭にあって、忠告してたこともある。だが、葬式となると坊さんを呼んで念仏をあげてもらい、あまつさえ、死者の冥福を祈ったり、天国が実在するかのような前提の弔辞を読んだりするので、なんだ、宗教を信じてるんじゃないか、と思って変な気持ちになる。

無宗教だとか、宗教に興味がないと言うと、欧米ではみんな何かの宗教を信じてるとか、無宗教だという人間はまともに扱われないだとか言う人がいるが、外国人の友人に無宗教であることを理由に驚かれたり非難されたことはない。ドイツ人でも、日本人が仏教徒である程度にしかキリスト教徒でない人はいたし、無宗教と公言している人もいた。それに、日本人が基本的に無宗教だということくらい、まともな外国人なら知っている。

私は宗教に興味がないし、どちらかと言うと嫌いになってきている。これからも、死ぬまで宗教には関わらないで生きていきたいものだ。

2016年2月11日木曜日

小説も書いてる

家庭教師の生徒が見つからないと書いたが、ここ二、三日で動きがあった。二、三件、決まりそうである。うち二つは業者を介してのもので、時給はやや低めだが場所が近く、わるくない話だ。近いうちに行くことになるだろう。

そしてもう一件、こちらは業者ではなく、ネット上の仲介サービスを利用したもの。いわゆる個人契約とか直接契約と言われるもので、幸運にして、一件見込みの濃い案件がある。これは、家庭までの距離は少し遠いのだが、これが決まれば、ほどほどの稼ぎは得られそうである。

さて、このごろこんな話ばかりだが、小説も書いている。1月上旬に決めたペースはまったく守れていないが、コンスタントに書いてはいる。現在、全体の6割といったところ。しかし、書けば書くほど新たな課題、新たな弱点というのは見えて来るものである。今回痛感しているのは人物造形の弱さである。

文体やストーリーについてはある程度意識的に勉強し、訓練もしたが、キャラクターについてはぶっちゃけ真剣に考えたことがなかった。勉強もほぼしていない。だが、執筆や展開にたびたび詰まる原因は、おそらくキャラクターの薄さに原因がある。もしキャラが立っていれば、話はいくぶんスムーズに流れるはずなのである。いわゆる、「登場人物が勝手に動き出す」モードというのも訪れるはずだ。

というわけで、次回作を書くときはキャラクター造形に着目してやっていきたい。

2016年2月10日水曜日

コンビニバイト初日

いつものように庭へ出て、父親がチェーンソーで切り落とした枝を運んでいるとき、私は一つの影を見つけた。長方形の畳一畳ほどの影だった。上を見上げても何もないので、変だなぁと思った。私がその不思議な影を調べようとそこへ乗っかると、影は私を乗せたまま動きだし、そのまま私を運んで行った。

影はきっと、夜のうちにだれかが夜の一部を切り取って何枚も重ね、ひとが乗れるほど分厚くした夜の名残だったのだろう。とにかく罠であることはたしかで、私はその夜の名残である影にのって何十分も運ばれていった。

到着したのは山を二つ越えたところにある木でできた店だった。店といっても人間が利用するようなものではなく、山の妖怪やら死んで黄泉の旅路についた、まだ死者としての研修も受けていないような新しい死人専用の店だった。店には一人、太ったピンク色の化け物がいて、私に服をすべて脱ぐように命じた。私は寒いから脱ぎたくなかったが、化け物は、それがここのルールだと怒り散らすので、やむなくすべて脱ぎ、代わりに化け物が枯れ木で編んだ粗末な服を着せられた。そうして私の仕事がはじまったのだ。

そこの店舗は人間の世界の店とはちがい、汚ければ汚いほど客が喜ぶということで、まずはゴミ箱の中身をぶちまけるのが仕事だった。店のなかにある汚いものをすべて床へ撒くと、さらに別の化け物が新しいゴミを方々から調達してきて、最初の化け物はそれを喜んで受け取り、私に対し、これもすべて、くまなくまき散らすように命じた。私はそれに従った。

店には飲食物の取り扱い品もあったが、これも私の知っているような食べ物ではなく、泥をまるめたものであったり、昆虫やヘビの抜け殻であったり、猫や兎の抜け毛をまとめて油で揚げたものだったりした。私は、こんなものが売れるのか、喜ばれるのかと疑問に思って尋ねたのだが、化け物は三十センチもある鼻をならして笑い、こういうものこそがここでは喜ばれるのだと自慢げに言った。実際、やってきた客たちはこうした食物とも言えない食物を喜んで買い求め、散乱したゴミの上にあぐらをかいてうまそうに食べるのだった。

しばらく私が働いていると、店の化け物の知り合いらしき化け物が数人店を訪れ、親しげに会話をしはじめた。その内容は聞くだにおそろしいもので、どうしたら他人を罠にかけ、苦しめられるだろうかという計画だった。そいつらは、とにかくだれでもいいから罠や謀略に陥れ、困らせたり苦しめたりすることが唯一無二の楽しみだったのだ。私は出入り口の上に、命じられた通り、悪臭のする腐った果物の皮などを吊るしながら聞き耳をたて、おぞましさに身震いしたのだった。

当然のごとく、私は家に帰りたいと思った。しかし、化け物が私を家へ返すつもりのないことは明白だった。もし家に帰ろうとすれば、そんな素振りを見せた瞬間、私をバッタに変えたうえで羽と手足を毟り取るぞとまで言ったのだ。だから私は命令に従うしかなかった。

そうして悪臭と恐怖のうずまく中で勤務を続けていたのだが、店のすみにいるとき、客の化け物同士が何やら悪巧みをしているのが耳に入った。なんと、そいつらは店の店主である化け物を謀略にかけ、殺してしまおうとしていたのだ。彼らは何といっても邪悪なので、顔見知りであったとて、容赦はしないのだった。彼らの話し合っていたところによれば、店の上には大きな岩が乗っているから、天井を壊して店主の化け物を下敷きにしてやろうとのことだった。これに希望を見出した私はこっそりと彼らに協力する旨を伝え、謀略に加わった。

しばらく経ち、私は店主の化け物に、あっちのほうがきれいすぎやしませんかと言い、目的の場所へ誘導していった。化け物は自らも汚くなろうと、全身に泥を塗っているところだったが、まんまと私のあとについてきた。そうして示し合わせた地点まで来ると、私は大きな声で合図を送った。すると、屋根の上で待機していた先ほどの化け物二人がその巨体で飛び跳ねたものだから、ただでさえ腐りかけていた天井が抜け、化け物はその下敷きになったのだった。

しかし、共謀者であるその化け物二人も、ほどなく私の敵になることは明白だったので、私は捕まらないうちに店の奥へと逃げ込むと、私を最初連れてきたあの四角い影を見つけて引っ張り出した。その影もまた、もともと化け物に連れてこられ、利用され、監禁されていたので、私がやってきたことを非常に喜び、私を乗せて破れた屋根から逃げ出すことに成功した。

こうして、私の久しぶりの労働は無事に終わった。働くというのは、いつの時代も、どんな場所でも、たいへんなものである。

2016年2月6日土曜日

家庭教師の生徒募集中

きのう、応募していたバイトの採用が決定した。働くのはセーブオンという、北関東およびその周辺にはびこっているコンビニである。私が住む埼玉県北部において、セーブオンとカインズホームのバイトというのは三菱商事や電通の正社員とならぶ名誉ある仕事と認識されている。大学を出た甲斐があるというものである。

さて、しかしこのバイトを始めたとして、週に3回、1回4時間のシフトだと、月収は4万円をわずかに越えるに過ぎない。北関東における4万円は東京の25万円くらいの価値があるとはいえ、もう少し稼ぎたい。ということで現在、家庭教師の口を探している。

しかしこれがなかなか見つからない。もう受験が終わるころで、新学期前という時期的な要因もあるのだろうが、近場で適当な生徒が見つからないのだ。登録した各種仲介業者のサイトであったりネット上の家庭教師仲介サイトで日夜よさそうな求人を探しているのだが、ない。

以前京都で探していたときは、案外ちょこちょこ見つかった。京都といえば大学の街で、倍率はすこぶる高かったはずだが、それでもしばらく気にしていれば見つかった。なのにこっちではいまだ見つからず。埼玉で言うと、東京に近いさいたま市、川口市、草加市、川越市などでは頻繁に募集があるのに、群馬側だとほとんどない。このへん在住で家庭教師をやっている人物などそんなにいないはずなのだが、そもそも求人自体が極めて少ない。困ったことである。

もしここをご覧の方で、清水 Airに勉強を教えて欲しい、あるいは子どもに勉強を教えてやって欲しいという方がいたら連絡をいただきたい。いや、勉強だけでなく、自分も小説書いてるから創作論を語り合いたいとか、庭の枝を畑に運びたいんだけど手伝って欲しいとか、ひきこもってて暇だからゲームの対戦相手になって欲しいとか、なんとなく話を聞いて欲しいとか、なんか、そういうのでもいいんで。

2016年2月4日木曜日

枝運び

毎日、庭にある木を畑に運んでいる。

もうだいぶ前だが、雪が降った。暖冬だったはずが、急にやってきた寒気のせいで、庭一面真っ白になる雪が降った。細い枝の樹々にも雪は積もり、折れた。庭は不格好になった。

それをきっかけに父親が庭の枝を切った。祖母が他界してから荒れていた庭にようやく手が入った。枝切り鋏と小型チェーンソーによって枝はばさばさと落ちた。いっそのこと、ということで丸裸になった木もあった。最後には無数の枝といくつかの幹が残った。

私はだいたい家にいるから、それらを畑に運ぶ役目を負った。両手に枝を持ち、砂利の上をずるずると引きずり、畑に掘られた穴へ放り込む。それをひたすら繰り返す。なんどもなんども、ズリズリジャリジャリ、大小の枝を運ぶ。穴はすぐ一杯になった。そして穴は枝の山になっていった。

それでもまだ終わらない。私は長靴をはき、軍手をはめて、枝を引きずっては山に積んでゆく。そんな私を、猫と犬が興味深そうに見つめる。庭には一匹の犬と三匹の猫がいる。室外で飼っている猫も出てくれば、さらに一匹増え、合計で五匹の小動物の視線を集めることになる。

彼らに見つめられつつ、私は枝を運んだ。砂利にはやがて深い跡がついた。轍のようになった。穴だった場所は背丈を越える山になった。山の真ん中に、いつのまにか穴が空いていた。もともとは縦穴だった場所にできた山には、横穴が空いていた。穴は深く暗かった。中をのぞくと、空気が入っていくのが分かった。目を凝らして奥を眺めてみると、小さな芥子粒ほどの光が見えた。やがて光は大きくなって、汽車の音が聞こえた。耳を澄ましているうちに、穴からは汽車が出て来た。

汽車は黒光りする大きな車体をしていた。汽車は私の前で停止し、運転席から運転手が顔を出した。運転手は十二歳くらいの女の子だった。黒くて頑丈そうな半袖半ズボンを着ていて、頭には軍隊がかぶるような帽子を被っていた。その子は私に「乗りなよ」と言った。だから私はその子の隣に乗った。少し離れた場所で見ていた四匹の猫も乗り込んだ。犬は鎖に繋がれていたのでだめだった。

汽車は私がつけた轍を走り出した。庭をずんずん進んで行った。私はすごいもんだなあと思って外を眺めていた。猫たちは怖がっていた。その女の子は運転しながら、私に薪をくべるように言った。だから私は薪をボイラーにくべていった。ボイラーは真っ赤に灼熱していて熱かった。しかし軍手をしていてよかったと思った。汽車は初めてだからそんなやり方でいいのか不安だったが、女の子に聞くとそれでいいというので、私は安心して仕事を続けた。猫たちは薪で爪を研いでいた。

汽車が太陽系の外まで出てあたりが暗くなると、やっと女の子は運転をやめてレモネードを出してくれた。ボイラーは熱くて汗だくだったので、とてもおいしかった。猫には水しかくれなかったから、少しかわいそうだと思ったが、どうせ猫はレモネードを飲まないと女の子が言って、その通りだと思った。

一匹目の猫は汽車から飛び降りると黄色い星になり、二匹目が飛び降りると青い星になった。三匹目は彗星になって、この色は分からなかったが、女の子によると二千五百年周期で地球に近づくということなので、また会えることが分かって安心した。四匹目は室内で飼っている猫で、この猫は飛び降りるのを怖がった。だから代わりに女の子の胸へと飛び込んで真心になった。女の子は私にもう一杯レモネードをくれた。

もうこれ以上進んでも何もないところまで汽車は進んだ。宇宙に行き止まりがあると思っていなかった私は驚いた。だけどそれは行き止まりではなくて、ただそれ以上行っても何もないということだった。だから怖くなって引き返すことにした。だけど女の子は引き返したくないと行った。このまま何もないところへ行こうと言った。その方がいいのだということだった。私と女の子は、何かがある方がいいのか、何もない方がいいのかで言い争った。

言い争いをしていたら、女の子が真心を思い出した。真心があるから、また帰りたいということになって、二人で引き返した。帰りはもう道が分かっていたからとても楽だった。帰ってくると汽車で庭に降りた。私は女の子にさよならを言った。女の子は汽笛を鳴らしながら、もときた穴の中へと帰って行った。

あの穴はそのあと消えてしまったが、庭の枝はまだ残っている。雨が降って濡れる前に、畑へ運ばねばならない。

2016年2月2日火曜日

ニート親父とリーマン息子

父「おい畜太郎、ちょっと来なさい」

子「どうしたの父さん?」

父「今日はちょっと、大事な話がある」

子「なに?」

父「おまえ、いったいいつまでサラリーマンを続けるつもりなんだ?」

子「なんだよいきなり。いつまでって、定年までに決まってるでしょ」

父「だから、いつまでそんな夢みたいなことを言ってるんだと訊いてるんだ」

子「どういうこと? 言ってる意味が分からないよ」

父「お前ももう三十だろう。そろそろ将来のことをちゃんと考えて、サラリーマンでやっていくなんてのは考え直したらどうなんだ。そりゃあ若いうちはいい。しかしこれから先、四十五十になって、ずっとその会社にいられるとは限らないんだぞ」

子「だけど、うちの会社は一部上場企業だよ? 創業八十年の老舗だよ?」

父「そんなことは関係ない。これからは一流企業だってどうなるか分かりゃしないんだ。あとで路頭に迷うようなことになって後悔したって遅いんだぞ」

子「でも、いまそんなことを考えたってしょうがないじゃないか」

父「そういうところがおまえは甘いんだ。そんな刹那的な生き方では続かないぞ。いいか畜太郎、みんな成長するにつれ、身の丈にあった生活というのを見つけていくものなんだ。やりたいことだけやれるなんて、世の中そんな甘いもんじゃない」

子「別にやりたいことってわけじゃないよ。っていうか、僕も父さんみたいにニートになれってことなの?」

父「無理強いするつもりはない。ただ、自分でそれに気づいて欲しいということなんだ」

子「気づけないよそんなの。僕はニートにはなりたくない」

父「これだけ言ってまだ分からないのか。サラリーマンを続けていく、それがどれだけ大変なことか、真面目に考えたことがあるのか。現実を見ろ!」

子「見てるよ。すごく見てるよ。だから働いてるんじゃないか。僕は絶対、父さんみたいなつまらないニートにはならない! 僕は、サラリーマンを、自分の信じたこの道を進んでいく。そしていつかは課長になって、定年退職して厚生年金をもらうんだ!」

父「馬鹿野郎! もういい! おまえなぞ出ていけ!」

子「ああ分かったさ。出ていくよ。これからは一人でやっていく!」


母「あなた、よかったんですか? あんなにキツく言ったりして」

父「いいんだ。あいつはあれくらい言わなきゃ分からんヤツなんだ。せいせいした」

母「そうですか……。でもあの子、すごくいい目をしていませんでした? 本当に、強い意志があるというか、夢に向かってひたむきで」

父「そう見えたか?」

母「ええ。ほら、あの子、小さい頃からそうでしたでしょ? 自分が決めたことには全力で取り組んで、途中で放り出したりしない、そういう強い子でした。さっきの姿、あの頃のまんまでしたよ」

父「……実は、私も同じことを考えていた。あいつが、私にあれほど強く主張してくるとはな」

母「やっぱり私たちの子ですね。きっと、心配いりませんよ」

父「そうかもな。……ああ、つい大きい声を出して頭に血が上ってしまった。散歩にでも行くことにしよう。えっと、たしかハローワークは市役所のあたりだったな?」

母「あなた、とうとう職探しに……!」

父「どうやら、私もまだまだ甘ちゃんのようだ」

2016年2月1日月曜日

ひきこもりデイズ

ストレスばかりの職場にさよなら
さあ いますぐ 辞表を出そうよ

(ルー ルルル ルルー)

めざまし時計は燃えないゴミへ
スーツ ネクタイはたんすの奥へ
通勤定期は忘れず解約
有休消化は抜かりなく

自由 解放 終わらない連休
最後のタイムレコーダー押したなら
あたしを待ってるのは そう ひきこもりデイズ

残業ない 早出もない
同期はいないし上司もいない
だれもあたしを縛れないの
ヒッキー ヒッキー ヒッキーデイズ

自由 解放 終わらない連休
会社の鍵を返したなら
あたしを待ってるのは そう ひきこもりデイズ

研修ない 出張ない
ノルマもなければレポートもない
なんにもあたしを縛れないの
ヒッキー ヒッキー ヒッキーデイズ

(間奏)

ES書いたのはいつだっけ
面接ではなにを訊かれたんだっけ
思い出せないあのころのこと
遠い 遠い 過去のこと

手当ない 保障ない
ボーナスもなければ給料もない
ちょっぴり寂しい気もするけど
ヒッキー ヒッキー ヒッキーデイズ

自由 解放 終わらない連休
偽りの自分を脱ぎ捨てたなら
あたしを待ってるのは そう ひきこもりデイズ

ひきこもりデイズ

ひきこもりデイズ

ひきこもりデイズ

(フェードアウト)




作詞 清水 Air(無職)
作曲 あなた(未来の無職)