2016年7月9日土曜日

能力の差

人間の能力にはかなりの差があり、それは学生時代からはっきりと露見している。先日、教育格差というタイトルで記事を書いたが、それをまた実感する光景を目にした。

私はよく公民館的な場所で——仮にプラザとする——原稿を書いているのだが、その近所の高校が試験期間に入ったことで、平日の日中であっても制服姿の高校生が集まってくるようになった。普段はお年寄りばかりだが、ここ一週間ほどはほとんど学生らで席が埋まっている状態だった。

そこで、二種類の高校生がいることに気がついた。一方はまともに試験勉強に取り組んでいる人々。彼ら彼女らは模範的に勉強に取り組んでいた。一人用の席でもくもくとやっている者もいれば、四人掛けのテーブルについて相談しながらやっている者もいた。こないだ私の隣のテーブルにいた女子高生二人は二進法についてああだこうだとしゃべりながらやっていて、私はそんな光景を感心しながら見ていた。

そんなまじめな学生が多数の中、全体の二割ほどではあるが、不真面目な高校生もいた。こちらの人々はそもそも席に着かず、大きな階段のような場所に陣取り、座ったり寝そべったりといっただらしない恰好でずっとおしゃべりに興じていた。私がいた二時間弱のあいだ、彼らはまるで勉強するそぶりを見せなかった。

勉強せずにただおしゃべりに興じる。それは、プラザにおいてルール違反ではない。マナー違反でもない。そういうこともしていい場所だ。だが、わずかな距離をへだててしっかり勉強する一群とそうでない一群を見比べ、ここでも能力の差というものを強く実感した。

階段でだべっていた彼らの何が劣っているのか。それは、プラザに来ているのに勉強していない点だ。もし勉強がいやならいやで、家やどこかの娯楽施設で遊べばいい。それならいい。しかし、そこへ来ているという時点で、十中八九、仲間内では勉強しようという話になっているはずなのだ。なのに、いざ来てみると、勉強していない。ここに、彼らの不徹底さというか、優柔不断さを見る。

また別の話だが、家や部屋の片付けというのも如実に能力が反映される。今日は新しくある生徒の家庭教師を担当することになり、その家を訪れた。まだ築五年ほどであろう、新しくてそこそこ大きな一軒家だった。庭から玄関、階段からリビングへ通されたのだが、きれいに整理されており、余分なものが少なかった。

ここでの比較対象は私の実家だ。私の実家にはものが溢れている。築二十年ほども経つから、ある程度ものが増えるのは仕方ないが、それにしても、ところどころ動線を妨げる形で荷物が置かれていたり、掃除の手が行き届かなくて汚れが沈着しているような箇所もある。家や部屋に、適性な量のものを配したり、掃除のしやすさを考慮して家具を置いたり、そういったことができるかどうかも一種の技術であり、能力の差である。これによって生活の利便性やクオリティーも変わってくるだろう。

このように、さまざまな面で人間の能力の差というのは生じている。しかも、能力を伸ばそうと意識している人間は、あらゆる面で、それこそ片付けや掃除といったものにおいても、その能力を伸ばしてゆく。そもそも、物事を技術として捉えることすらしていない人間は、たとえ五百年生きたとしても、何ひとつ身につけることはできないだろう。能力の差というのは広がる一方だ。

そして、今後の社会では個人の能力の差というのがこれまで以上に大きな意味を持ってくるだろうと思う。有能な者は生き延び、無能な者は淘汰されて死んでいく。それは残酷な世の中だ。けれども、ある意味では清々しい、爽快な世界だ。そういう場所で生き延びていきたい。

2 件のコメント:

  1. 博識そうなブログ主さんなので釈迦に説法となってしまうかもしれませんが、クローンを作っても同じ人間は作れないらしいです。
    例えばアインシュタインをあと何人か作っても、それらのアインシュタインは天才物理学者になるとは限りません。
    一人は教師かもしれないし、一人は工員かもしれないし、一人は飲んだくれかもしれない。
    さて、ここで僕は疑問に思うのですが、人間の能力というのはその人間固有のものでしょうか?
    そしてそれほど簡単に測れるものでしょうか?
    社会から必要とされる能力の種類という問題もあります。
    ブログ主さんはいわゆる能力の差が際立った世界を清々しい爽快な世界とおっしゃいますが、僕には勝手に決めつけられた枠組みの中で勝手に有能、無能と烙印を押される窮屈な世界、面倒な世界にも思えます。

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    1. コメントありがとうございます。

      なるほど、確かにそうとも考えられますね。どの能力が評価されるか、どのように評価されるかは相対的な面もありますし。

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