2016年4月23日土曜日

隠居という生き方

現在、私はコンビニバイトと家庭教師をやっている。いわゆるフリーターである。

ところで、私同様フリーターとカテゴライズされる人の中に、しかも若い人の中に、隠居を自称する人がいる。『20代で隠居』の著者がそうである。この人は週二日だけ働いて、賃貸で慎ましく暮らしている。あるいは、川のほとりに土地を買い、小屋を建ててそこで暮らしている人もいる。『僕はなぜ小屋で暮らすようになったか』の人だ。さらには、数年前からたびたびフィーチャーされる「京大卒ニート」のphaさんもその類である。

要は、定職に就かず、さりとてミュージシャンや作家といった夢を追うわけでもなく、ただまったりと生きる人、そういう人がちょこちょこいて、そこそこ注目を集めているのだ。

こういう人の書いたものに接したり、メディアで特集されてたりするのを見ると、ある程度はシンパシーを感じる。自分の中にも、世間の価値観や圧力を無視し、ただただ静かに暮らしたいという欲求があるのを感じる。

しかし、一点、私の場合は野心があるというところが違っている。小説家になりたいという野心があり、内心、功名心と名誉欲であふれかえっている。そういう意味では、世の中の平均的よりもずっと隠居に遠い存在かもしれない。

だがしかし、隠居的な人生というものへの憧れも理解はできるし、共感もできる。ひょっとしたら、できることをすべてやり、刀折れ矢尽きた時、そっちの方へ傾いて行くのかもしれない。まあ、その場合は、彼らのような純粋に隠居を志向する者ではなく、敗残者としての烙印は免れないが。

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